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小松寺【檀特山 小松寺】!!房総の紅葉はとてもゆっくりです。

紅葉の見頃 11月中旬~12月中旬。
紅葉にあわせて、夜のライトアップも行っています。
◆紅葉祭りには豚汁とモチの振る舞いも

南房総の千倉にある小松寺は近くに原生林があり四季折々の自然を楽しめるスポット。境内の紅葉は見事で、11月中旬~12月上旬に見頃を迎えるカエデの大木は見事。他、モミジ、イチョウも鮮やかに色づく。銅像十一面観音座像(国の重要文化財)・梵鐘(県指定文化財)も有名。11月27日(日)には小松寺もみじまつりも開催され、 豚汁、モチが振る舞われる他、野点、福引、地元農産物の販売等もある。
また、小松寺には七不思議が伝わっております。そのひとつをご紹介しましょう。
 ある日、大きな山津波がおきて、鐘が押し流されてしまいまた。山門の仁王尊が必死になって掴んだものの、自然の力に抗しきず、片腕とともに川に流れ落ちてしまったのです。鐘は下流へと流れ流され、瀬戸川の深い土中に埋まってしまいました。その後、大雨が降り川の水があふれると、瀬戸川の淵から『小松恋しや、じゃがらがん』と悲しそうな鐘の音が聞こえてきたということです。

【幸せのパワースポット】
平安時代から続く由緒ある古刹。手つかずの原生材の中を歩くだけでも癒されます。「子宝」「安産」を願って多くの女性が訪れています。

・・・・・・・・・小松寺の歴史 ・・・・・・・・・・

◆文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えれ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。
※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。

◆天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。

◆平安時代前期、火災により寺院が全焼。しばらくは廃墟のままとなる。

◆延喜20年(920年)、国司安房守住吉朝臣小松民部正壽(こくしあわのかみすみよしあそんこまつみんぶまさかず)により再建される。寺名を『檀特山医王院巨松寺』と改められる。七堂伽藍が整い、薬師如来が祀られる。
※七堂伽藍とは、本堂・塔・講堂・鐘楼堂・経蔵・食堂(または中門)・僧坊のことをさす。

◆年を経て次第に衰えてしまうが、承安4年(1174年)中興する。開基第一世玄海。

◆その後、徳川家康より12石7斗、里見義康から53石6斗の寄進をうけ、広い山林と田畑をもつ修行道場ともなり、多くの僧が集う寺院となる。

◆安政元年(1854年)、またしても火災により全焼。

◆現在の小松寺がいつ建て直されたのか、古文章等は残っていないが、本堂正面の龍の彫刻には「安政二丙辰十一月吉日、相州三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武」と彫られている。この銘から、安政2年(1855年)に再建されたと考えられる。

◆宗派について
当山は、中世のある時期までは天台系であったと考えられている。二度の大きな火災により古文章の記録は残されていないが、天台宗として35代、その後、真言宗に改宗されたと伝えられている。現在は真言宗智山派として49代目の住職が継承している。